七月二週 土浦中国語

2018711

 

一中公民館 水曜日

今日も暑かった。最近の出来事について話し、宿題[「没」を使った作文]を発表。

 

 

Aさん

昨周我去北海道。寿司好吃。

Zuó zhōu wǒ qù běihǎidào. Shòusī hào chī.

可是每天下雨。

Kěshì měitiān xià yǔ.

 

<訳> 先週北海道にいきました。寿司がおいしかったです。でも、毎日雨が降りました。

 

墓参りを兼ねての北海道旅行のようです。墓参りは、「扫墓 sǎomù」「上坟 shàngfén」。墓参りに「扫」(掃)という字が使われるのは、墓掃除するからなのではという意見でした。百度百科にも、「扫墓」の英訳として「sweep a grave」と書いてありましたので、どうもそのようです。「扫」は、「ほうきで掃く」の意味。雑巾で拭くのは「擦」です。

今どき、おいしいお寿司は、東京でも食べられるそうな。それは、寿司ネタが空輸(空 kōngyùn)されるからでしょう。

 

 

Bさん

七月八号我去了千叶县胜浦。

Qī yuè bā hào wǒ qùle qiānyè xiàn shèngpǔ.

我想和爱人一起去胜浦、但是她没有去。

Wǒ xiǎng hé àirén yīqǐ qù shèng pǔ, dànshì tā méiyǒu qù.

我吃了烤黄油鲍鱼。

Wǒ chīle kǎo huángyóu bàoyú.

太好吃了。我最喜欢这个了。

Tài hào chīle. Wǒ zuì xǐhuān zhègele.

 

 

<訳> 7月8日に千葉県の勝浦に行きました。妻と一緒に行こうと思ったのですが、彼女は行きませんでした。アワビのステーキを食べました。とてもおいしかったです。もっとも気にいりました。

 

Bさんは、「高级菜 gāojí cài」を食べられたようです。ああ~おいしそう。「鲍鱼」は、「アワビ」のこと。「烤黄油」はバターで焼いたのかな。

 

宿題で、「没」をつかった文章をつくること、と言われていたので、Bさんは、次の文章も作りました。

我去胜浦了、她没去。 Wǒ qù shèng pǔ le, tā méi qù.(私は勝浦にいきました、彼女はいきませんでした。)

 

 

Cさん

为最近我的右眼有点儿看不见、我去眼科了。

Yīnwèi zuìjìn wǒ de yòu yǎn yǒudiǎnr kàn bùjiàn, wǒ qù yǎnkē le.

医生推荐说:先不用手术、戴眼镜就行。

Yīshēng tuījiàn shuō: Xiān bùyòng shǒushù, dài yǎnjìng jiù xíng.

今天下课后、去眼镜店商量。

Jīntiān xiàkè hòu, qù yǎnjìng diàn shāngliáng.

 

 

<訳> 最近右眼がよく見えなくなってきたので、眼科に行きました。先生は、手術はいまのところ必要ないので、まずは眼鏡をかけるように薦めました。クラスが終わったら、眼鏡屋に相談に行きます。

 

「よく見えない」という表現ですが、「看不好」としていましたが、「有点儿看不见」「视力降下 shìlì jiàngxià」が良いようです。

「先不用手术、戴眼镜就行」というような表現はなかなか思いつかないですね。

 

 

Dさん

昨天去在筑波的公营健身房。

Zuótiān qù zài zhùbō de gōngyíng jiànshēnfáng.

我在游泳池游泳。

Wǒ zài yóuyǒngchí yóuyǒng.

我自由泳不太好、蛙泳不错。

Wǒ zìyóuyǒng bù tài hǎo, wāyǒng bùcuò.

 

 

<訳> 昨日つくばの公営のスポーツジムにいきました。プールで泳ぎました。クロールはあまり巧くないけど、平泳ぎは上手(良い感じ)です。

 

「クロールで泳ぐ」というのを「游泳自由 yóuyǒng zìyóu」としていましたが、「自由泳(自由形、クロール)」という言葉(名詞)に直したほうが良いでしょうとのことでした。

水泳の4つの泳法は、「自由泳 zìyóuyǒng」「蛙泳 wāyǒng」「仰泳 yǎngyǒng」「蝶泳 diéyǒng」。バタフライが「蝶泳」というのは想像がつきそうですが、背泳ぎは「背泳」ではなく「仰泳」でした。

 

 

Eさん

我因为热每天在发呆、可是勤奋的父亲总是在做点儿什么。

Wǒ yīnwèi rè měitiān zài fādāi, kěshì qínfèn de fùqīn zǒngshì zài zuò diǎn er shénme.

 

 

<訳> わたしは、暑さのために毎日ボ~ッとしていますが、勤勉な父はいつも何かをしています。

 

发呆」は「ぼんやりとする、ぽかんとする」と言う意味の離合詞(分離動詞)です。「总是」は「常に、いつも」という副詞です。

fèn」は「奮」の簡略字で「奮い立つ」の意味、「勤 qínfèn」となると「勤勉である」という意味。

 

 

Fさん

我登过三次富士山。

Wǒ dēngguò sāncì Fùshìshān.

但是、只登过两次筑波山

Dànshì, zhǐ dēngguò liǎng cì Zhùbōshān.

 

<訳> 富士山に三回登ったことがあります。でも、筑波山には二回しか登ったことがありません。

 

「富士山には三度も登っているのに、近くで富士山よりも手軽に登れる筑波山にはまだ二回しか登っていない。」ということを、表現しています。「二回しか登ったことがない」の「~しか~ない」という表現をどのように中国語で表すかということで、先生は「只」を使うのが良いとの意見で上記の文章になりました。日本語の「~しか~ない」という表現は、否定型のようであるが、実際は「ない」のではなく、「すこしはある(二回ある)」ということなので、中国語で否定型で表すのは難しいとのことでした。

 

「只 zhǐ」の日本語訳として、辞書には「~しかない」が書かれています。ついでですが、「~しかない」「だけ」の意味のときは、声調が三声ですが、一声の時(只 zhī)は、量詞として使われます(三只老虎 三頭のトラ)。

 

日本語で似ている言い方に、「だけ」がありますが、この場合は「二回だけ登った」となります。「だけ」と「しか」は、ともに限定の意味を表す副助詞だそうです。「しか」は常に否定の「ない」と一緒に用いられます(参照 https://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/03/33.html)。「だけ」・「しか」・「だけしか」で文のニュアンスが変わります(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1123388546)。

 

「只 zhǐ」は「 jǐn」(ただ、わずか)でも代用できる場合があるようです。「仅」は「僅」の簡体字。例えば、「我们公司的职员仅有一百人。Wǒmen gōngsī de zhíyuán jǐn yǒu yì bǎi rén.」(我社の従業員は100人しかいない。)

 

日本語では、実際には「ある」のに、「~しかない」と否定の形を使って表現しています。このような表現は、日本語特有かと思っていたら、偶然に日中辞書の「いくつ」という項を調べた時に、次の様な表現を見つけました。

 「有几个? Yǒu jǐ gè?」(いくつありますか。)

 「没有几个。 Méiyǒu jǐ gè.」(いくつもありません。)

たくさんはないけれど、幾つかは(僅かに)あるということを表現するのに、否定の形「没有」が使われています。上記の日本語の場合と似ていると思います。言語ごとの自然な言い回しを習得するのは難しいですね。

 

 

<宿題>

今回は、宿題の指定はありませんでした。なにか作文していったほうが良いかな?