三月までの予定

一月は、23日に漢詩の勉強があります。30日には教室はありません。

二月は、いまのところ、6日と13日が中国語、27日が漢詩の予定です。27日の漢詩は、場合によっては20日になる可能性もありますので、情報にご注意ください。

三月は、やはり6日と13日が中国語、漢詩20日か27日かはまだ未定です。

 

十二月の漢詩

1226

 

今日の漢詩は、李白の「望天門山」でした。

李白701-762)の出自および出身地には諸説あり、詳細は不明とある(Wikipedia)。現在の中国における通説では、李白は西域に移住した漢民族の家に生まれ、幼少の頃、裕福な商人であった父について、西域から蜀(現在の四川省)に移住したと推測されている。5歳頃から20年ほどの青少年期、蜀の青蓮郷を中心に活動したのち、長江中下流域を中心に、中国各地を放浪している。数回結婚しているようだ。

 

 

望天门山 Wàng tiānmén shān

         李白 Lǐ Bái

天门中断楚江开    tiānmén zhōngduàn chǔ jiāng kāi

碧水东流至北回    bìshuǐ dōng liú zhì běi huí

両岸青山相对出    liǎng àn qīngshān xiāngduì chū

孤帆一片日边来    gū fān yí piàn rì biān lái

 

 

門中断楚江開

碧水東流至北廻

両岸青山相対出

孤帆一片日辺来

 

 

<訳1>

天門山が真ん中から断ち切られて、その間を楚江が流れている。

深みどりの川は東の方に流れて来て、ここで北に向きを変えて流れる。

両岸には青々とした山が向き合って突き出しており、

その切れ目の奥の方から一艘の舟が下って来るのは、まるで太陽の沈むあたりから流れて来るかのようである。

 http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_A04_1.html を参照に少し改変。

 

<訳2>。

「天の門」という名の山が、ちょうどその名のように、

まん中がパッとわれて楚江がひらける。

碧碧とした水が東へと流れてきて、この地点において廻転する。

両岸の青い山がむかいあって乗り出してくる勢い。

その間へ一片の小舟が遠い所からやって来た。

            (武部利男「中国詩人選集・李白」)

 http://jiuxia.web.fc2.com/Kanshipage/KanshiNo7/kanshi86.html

 

 

楚江 chǔ jiāng揚子江扬子江 yángzǐjiāng)のこと。このあたりは春秋時代から楚国と呼ばれていたのでこの名がある。

 

天門山という名前は、中国各地に見られる。ここでは、今の安徽省当塗県(あんきしょうとうとけん)の蕪湖(ぶこ)のあたりにある山で、東梁山(とうりょうざん)と西梁山の二つの山は揚子江(長江)を挟んで向かい合い、その形があたかも天の門のようになっているところから名づけられた(http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_A04_1.html)。

 

 

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天門山の場所

           https://kanshi.roudokus.com/tenmonzan.html

 

また、山口直樹「中国語ジャーナル」による解説(http://jiuxia.web.fc2.com/Kanshipage/KanshiNo7/kanshi86.html)が分かり易い。

「天門山は長江の東西両岸に対峙する山名で、東岸の博望山は安徽省の当塗県、西岸の梁山は和県に属し、二つの山を合わせて天門山と呼んでいる。南北朝時代、この下流に位置する建業(南京)が六朝の帝都だったことから、その外門になぞらて天門山と命名された。

 この詩は、平易な語を使いながらも壮大な風景を描き出している名作。天門を押し開いたかのような長江の滔々たる流れ、東へと流れていた碧の水は此処で北に向きを変える。長江両岸の青木山は対峙してそびえ、川面に照り輝く日光の中から向かってくる一艘の帆掛け舟、というのがこの詩の大意。いかにも李白らしい大きなスケールを感じさせる作品で、現代中国語での朗詠もリズムがよい。」

 

ここで、起句、承句、転句までは状況が比較的わかり易いように思う。作者は、舟に乗って揚子江を下っていると考えられる。おそらく、両側の山がせまって門のようになった部分を抜けると、揚子江が拡がる感じなのであろう。でも、最後の結句では、若干視点が異なり、客観的に陸地から舟を見ているような句になっています。にもかかわらず、やはり作者は舟の中にいると考えて良いようです。ここで、「日 rìbiān」という言葉ですが、これは、「天 tiānbiān」「天涯 tiānyá」と同じような意味で、「遠いところ」を意味しているのだろうとのことです。上記の武部利男の詩(訳2)でも、「遠い所からやって来た」と訳されています。

 

「日边」に関連して、以下の記述がありました(http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_A04_1.html)。

-----日辺と長安ではどちらが近いか-----

 晋(しん)の明帝(みんてい)がまだ幼かったころ長安から来た使者の前で「長安と日辺ではどちらが遠いかね」と父の元帝(げんてい)が質問したところ幼帝が「長安が近い。未だかつて日辺(太陽)から来た人を見たことがないから」と答えた。翌日同じ質問をしたところ「日辺が近い。頭をあげると太陽は見えますが長安は見えないから」と答えた。この話は幼帝の聡明さを示すものとなっている。それなりの理を述べて面白い話である。

 

 

今日は、2018年最後の教室だったので、終わってから昼食忘年会をしました。「覚味」まで分乗してでかけました。

 

また、このブログも一年を経過しました。さらに進化を遂げられますように。

来年も宜しくお願いします。「祝新年快乐! Zhù xīnnián kuàilè!

十二月第二週

1212

 

「会話(huìhuà)をしましょうか。」で始まりましたが、なかなか会話は難しい。最近の様子と宿題を発表しました。宿題は、「前置詞「从 cóng」と「到 dào」を使って、距離・場所を示す表現と時間を示す表現とを作文してくる。」でした。

 

 

Aさん

先週お休みだったAさんは、スキーに行かれたようです。

 

上周从星期一到星期三,三天,我去志贺高原参加滑雪训练会。

Shàng zhōu cóng xīngqí yī dào xīngqí sān, sān tiān, wǒ qù zhìhè gāoyuán cānjiā huáxuě xùnliàn huì.

可惜的是、雪少、所以最后一天日程取消了。

Kěxí de shì, xuě shǎo, suǒyǐ zuìhòu yì tiān rìchéng qǔxiāo le.

我的老师八十四岁,但,他是专家怎么教也很精通。

Wǒ de lǎoshī bāshísì suì, dàn, tā shì zhuānjiā zěnme jiào yě hěn jīngtōng.

说「你比以前进步了」。我很高兴。

Tā shuō `Nǐ bǐ yǐqián jìnbù le'. Wǒ hěn gāoxìng.

 

<訳>

先週月曜日から水曜日まで三日間、志賀高原にでかけ、スキー研修に参加しました。残念ながら、雪が少なく、最後の日は研修がありませんでした。私の先生は84歳ですが、スキーの専門家で教授法にもとても詳しいです。彼は「あたなは以前より上達してきましたね」と言ってくれました。とてもうれしい。

 

可惜的是 kěxí de shì : 残念なことに

「可惜」だけでも同じことを表現できるようにも思いますが、この言い方は面白いとおもいました。

最初にこの部分で、「不幸的是 bùxìng de shì : 残念ながら」をAさんが使われました。「可惜的是」よりも程度が強い表現のようで、先生はこの言葉をAさんが話したとき、骨折でもしたのかと思われたそうです。「遗憾的是 yíhàn de shì: 残念ながら、怨(うら)むらくは」と言う表現もあり、ちょっとニュアンスが違うようですが、これも残念な程度がちょっと高そうです。意味は違いますが、これらとすこし似た表現で、「多的是 duōdeshì」、「有的是 yǒudeshì」が在ります。これは動詞として「たくさんある。いくらでもある。」の意味のようです。

 

我的老师八十四岁 ——> 年齢を言うときは、動詞「是」は不要です 

怎么教 zěnme jiào : 教え方 ——> 「教法 jiào fǎ (教授法)」でもよいそうです。「教学方法 jiàoxué fāngfǎ」を短くしたものかな。

比以前 bǐ yǐqián : 前よりも、以前に比べて

 

最後の二つの文章「他~ ~高兴」は、因果関係(「誉められたので、うれしかった」)を簡潔に表していますが、前の文章の最初に「因 yīnwèi」を、後の文章の最初に「所以 suǒyǐ」を付けてもよい。そうすると因果関係(~なので、~だ)がはっきりする。上から二つ目の文章「雪少、所以~」にも、同様な関係が見られる。

 

 

 

Bさん

时常去健身房运动。

Wǒ shícháng qù jiànshēnfáng yùndòng.

从我家到那儿大概骑自行车去。

Cóng wǒjiā dào nàr dàgài qí zìxíngchē qù. 

前几天从下午两点到四点我也锻炼了。

Qián jǐ tiān cóng xiàwǔ liǎng diǎn dào sì diǎn wǒ yě duànliàn le.

 

<訳>

時々トレーニングジムにいきます。家から底まで大抵自転車で出かけます。先日も午後2時から4時まで運動しました。

 

「大概 dàgài」について : ここでは「一般 yībān (普通)」と言い換えると良いでしょうとのことです。「大概」は「おおよそ」という感じで、程度や推量を表す時に使う雰囲気なのでしょうか。回数や頻度を表すには適切ではないのかもしれません。もし、「いつも」なら「常時 chángshí」を使います。

 

骑自行车去」は、最初は「骑自行车出去」と後の動詞を「出去」とされていましたが(「自転車に乗って、出かけた」という意味で書いたのでしょう)、「去」だけになりました。中国語では、二つの動詞をつかって、前の動詞が、後の動詞の動作を説明するのに使われることがあって、「自転車で行く」というのは「骑自行车去」と使うのだろうと思いました。

 

「前几天 qián jǐ tiān」は「数日前」という意味です。

時刻を言うとき、「二時」の時だけは「èr diǎn」ではなく、「两点 liǎng diǎn」です。

 

 

 

Cさん

昨天我从九点到十二点学习了汉语三个小时。

Zuótiān wǒ cóng jiǔ diǎn dào shí'èr diǎn xuéxíle hànyǔ sān gè xiǎoshí.

从土浦站到我家走,要三十分钟。

Cóng tǔpǔ zhàn dào wǒjiā zǒu, yào sānshí fēnzhōng.

 

<訳>

昨日、9時から12時まで三時間中国語を勉強しました。

土浦駅から家まで歩いて30分かかります。

 

時刻を表す「从九点到十二点」は動詞のまえに、時間の長さを表す「三个小时」は動詞の後におきます。

この文章は、「了」が書かれていて(「学习了」の部分)、過去のことを述べていると思えるので、「昨天」などの何時のことかを示す言葉があった方が、落ち着きがよい文章ということのようだ。

この文章は「汉语」が目的語になっており、動詞+時間+目的語の語順「学习了三个小时汉语」でも良いとのこと。この場合、「学习了三个小时汉语」と「学习了三个小时汉语了」のように、最後に語気助詞の「了」を付けないときと、付けたときとで、どちらがしっくりと来るのだろうかと疑問がわいた。

 

二番目の文章で、「走」は「歩く」ことを示しているが、「走路 zǒulù」としてもよい。より明確に「道を歩く」というイメージがはっきりするのかもしれないなあ。「30分かかる」と言うことなので、「要」を使う。

 

 

Dさん

我从大上周星期五到上周星期五一周痛苦了。

Wǒ cóng dà shàng zhōu xīngqíwǔ dào shàng zhōu xīngqíwǔ yì zhōu tòngkǔ le.

可是、没问题。

Kěshì, méi wèntí.

对不起、让您担心了。

Duìbùqǐ, ràng nín dānxīn le.

 

 

<訳>

先々週の金曜日から先週の金曜日までの一週間、辛かったです。でも問題なかったです。皆さんにご心配かけて、すみません。

 

Dさんは、検査で病気かもしれないとの診断を受けたので、精密検査が終わるまで心配だったそうです。問題なくて良かった。

 大上周 : 先々週、 上周  : 先週

ràng」は使役(~に~させる)を表す動詞として働いています。「让您担心了。」には、「我」が頭に省略されており、連動文(兼語文)になっている。「让」の目的語である「您」が、「担心了」の主語になっている構造です。

 

 

 

Eさん

从二十二点到六点就寝。

Cóng èrshí'èr diǎn dào liù diǎn jiùqǐn.

从我家到这里要三十分(钟)。

Cóng wǒjiā dào zhèlǐ yào sānshí fēn (zhōng).

 

<訳>

22時から6時まで睡ります。我が家からここまで30分です。

 

「睡る」あるいは「寝る」というとき、「10時に寝る」あるいは「8時間睡る」など、特定の時刻でも、時間をいうときでも「就寝 jiùqǐn」あるいは「睡覚shuì jué」をつかえば良いそうです。

「三十分钟」は、「三十分」だけでも良いそうです。

 

「Eさんは8時間も寝られるなんて、良いね」、という話しがでましたが、実際は、

「如果这样那当然好、但我做不到。」

Rúguǒ zhèyàng nà dāngrán hǎo, dàn wǒ zuò bù dào.

 

<訳>もしこうだったら、もちろんすばらしいけど、そうはできません。

とのことでした。

 

この文章は先生が書かれたのですが、こんな文章とても思いつかないですね。

「如果 rúguǒ」は、「もし~ならば」

「但 dàn」は、「ただ、しかし」

 

ここで「那」は、どのような働きをしているのかと疑問に思いました。「这样」は「このような」という意味です。「そのような」というなら「那样」というべきであろうから、「这样那」と繋がるのではなく、「如果这样」までで区切りで、「こうだったら(8時間睡られたら)」となり、「那当然好」が主語(那)+副詞(当然)+形容詞(好)に成っていて、「当然好」の述部に対して、「那」が主部になっているのではないかと思う。ネットの辞書には「当然が述語になる場合,主語は多く’‘である.」と書かれていたので、おそらく主語と考えてよいのでしょう。

 

「做不到」では、「到」はおそらく結果補語であり、不を挿入してその否定の形で可能形(可能補語)として働いているのだろう。「做到 zuò dào」は、「実行する、やり遂げる」と言う意味で、「做不到」は、「できない、やり遂げられない」という意味になる。

 

 

 

その後、教科書をすこし勉強しました。

助動詞「可以 kěyǐ」、「能 néng」、「会 huì」について勉強(「一年生のコミュニケーション」49ページ)。

例えば、例文以外で、「正月は休めますか?」は、「新年能休息吗? Xīnnián néng xiūxí ma?」となり「能」を使う。「彼女はピアノが弾けます。」なら、「会」をつかって、「她会弹钢琴。 Tā huì dàn gāngqín.」となります。

 

ちなみに、楽器がでてきたので、関連したものを・・・・

 ピアノを弾く  —————— 弹钢琴 dàn gāngqín

 ギターを弾く  —————— 弹吉他 dàn jítā

 バイオリンを弾く  ——— 拉小提琴 lā xiǎotíqín

 トランペットを吹く ——— 吹小号 chuī xiǎohào

「小提琴 xiǎotíqín」(バイオリン)があれば、「中提琴」と「大提琴」もあって、それぞれ「ビオラ」と「チェロ」のことである。また、「小号 xiǎohào」が「トランペット」なら、「大号 dàhào」は「チューバ」、でも「中号」に相当する楽器は見つけられなかった。

 

 

 

次回(来年一月第二週の9日)までの宿題

「一年生のコミュニケーション」49ページ、助動詞「可以 kěyǐ」、「能 néng」、「会 huì」を使って、文章を作ってくる。

 

十二月第一週

125

 

少しお話(なぜか、キムチを含む漬け物と豚肉の炒め物などの話し)をしてから、宿題の作文の発表に入りました。

宿題は、「我喜欢的茶 wǒ xǐhuān de chá」です。皆さん、どのようなお茶が好きなのでしょうか。

 

********<注意>*************

このブログでは、日中の漢字の区別ができていない文字があります。これは、パソコンで漢字を表すときに、よく似た漢字だけれど僅かに違うものは、日本語の漢字綴りで表示されてしまうようです。たとえば、「飲む」を意味する「喝」は、中国語では右下の部分がこの文字とは異なっています。このような例はほかにも多く有り、例えば「花」でも、中国語の漢字を日本語の漢字で示していたりします。

 

先月までは、「喝」は正確な簡体中文文字が表示できたのですが、パソコンシステムのバージョンアップの為なのかどうかわかりませんが、表示できなくなりました。日本語のパソコンで正確な中国語の文字を表示できない~。

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Aさん

茶有很多种。

Chá yǒu hěnduō zhǒng. 

我每天早上喝红茶。

Wǒ měitiān zǎoshang hē hóngchá.

 

<訳>

お茶には多くの種類があります。私は毎朝紅茶を飲みます。

 

「种」は、「種」の簡体字。「种类 zhǒnglèi」なら、「種類、タイプ」ということになる。

 

 

Bさん

我不太喜欢喝紅茶。

Wǒ bù tài xǐhuān hē hóngchá.

但是、我有时喝马萨拉红茶。

Dànshì, wǒ yǒushí hē mǎ sà lā hóngchá.

马萨拉茶含有草药和香料。

Mǎsàlā chá hányǒu cǎoyào hé xiāngliào.

我起初在印度找到了它。

Wǒ qǐchū zài Yìndù zhǎodàole tā.

 

<訳>

私は紅茶はあまり好きではありません。でも、時々マサラ茶(紅茶)を飲みます。マサラ茶には、ハーブやスパイスが含まれています。最初にインドで見つけました(出会いました)。

 

马萨拉ǎsàlā: 「マサラ」(様々な香辛料を粉状にして混ぜ合わせた物)の当て字

包括 bāokuò: 含む (「帯有、含有」)

药和香料: ハーブとスパイス

起初 qǐchū: 最初、はじめに

找到了它: 「找 zhǎo」は「探す、求める」、「到 dào」は結果補語となる動詞、「它」は目的語で「马萨拉茶」のことを指す。

 

マサラ茶は、ちょっと刺激があるようです。インドでは、「チャイ」と呼んで(「チャイ」といえば「マサラ茶」のことを指します)、ミルクや砂糖をたっぷり入れた飲み物をよく飲みます。今どき、ティーバッグでも売っているようです。

 

Cさん

中国茶に興味のあったCさん、東京で中国茶を飲んでこられたうえに、中国茶について調べてこられました。

 

我最近喝了下列中国茶

Wǒ zuìjìn hēle xiàliè zhōngguó chá. 

但是我不能挑选出第一喜欢的。

Dànshì wǒ hái bùnéng tiāoxuǎnchū dì yī xǐhuān de.

为试饮少。我想継続试饮茶。

Yīnwèi shìyǐn shǎo. Wǒ xiǎng jìxù shìyǐn chá.

 

<訳>

私は最近以下の中国茶を飲みました。でも、まだどれが一番良いか決めかねています。まだ飲んだ数が少ないからです。続けて試し飲みしたいです。

 

下列 xiàliè: 下記の

不能 bùnéng」は、最初「不可以 bù kěyǐ」でしたが、「不能」のほうが良いとのことです。

选出 tiāoxuǎnchū:選び出す

  最初は「挑 tiāoxuǎn(選ぶ、選抜する)」だけでしたが、先生が「出」を付けた「挑选出 tiāoxuǎnchū」がよく使われると言われました。「出」は方向補語で、その派生義として使われているのだろう。

 

Cさんから、中国茶のお店や中国茶の種類について、紹介がありました。お茶の色や発酵程度によって、六種類にわけられているそうです。そして「普洱饼茶 pǔ'ěr bǐng chá(プーアール茶)」を頂きました。

ネットでお茶の種類を見てみると(http://www.ocha.tv/varieties/chinesetea_varieties/)、いろいろ説明がありました。

 

スクリーンショット 2018-12-06 10.36.09.png

 

 

Dさん

我喜欢红茶。

Wǒ xǐhuān hóngchá.

但是儿子喜欢英国红茶。

Dànshì érzi xǐhuān yīngguó hóngchá.

 

 

<訳>

私は紅茶がすきです。息子は英国の紅茶にはまっています。

 

「はまっています(夢中になる、とりこになる)」を「喜欢」としましたが、中国語では「迷上 míshàng」が良いとのことです。「掉 diàojìn」という言い方もあるそうですが、これは「陥っている、落ち込む」という意味がつよいので、やはり「夢中になる」と言う意味では、「迷上」でしょう。

 

 

 

このあと、12時までの残りの時間で

「一年生のコミュニケーション」の44, 45ページを勉強。

 

 

来週までの宿題

「一年生のコミュニケーション」45ページ、前置詞「从~到~ cóngdào~」を使って、距離・場所を示す表現と時間を示す表現とを作文してくる。

 

一月の予定

一月の予定がきまりました。(2019年)

<注意>当初は、第二、第三、第五水曜日(9日、16日、30日)の予定でしたが、
        第二、第三、第四水曜日(9日、16日、23日)になりました。

 朝10時から土浦一中地区公民館

   1月 9日 中国語 (保育室)

   1月16日 中国語 (保育室)

   1月23日 漢詩  (保育室)

 

十二月の予定

第一、第二、第四水曜日、朝10時から土浦一中地区公民館

  12月 5日 中国語 (保育室)

  12月12日 中国語 (保育室)

  12月26日 漢詩  (保育室)

    26日教室が終わってから、お昼ご飯を皆で食べます。

 

 1月は、第二、第三、第五水曜日(9日、16日、30日)の予定です。