土浦中国語 九月第三週

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夏も終わって、9月最初の教室。

以前に、「乗り物に乗る」関連表現を使って文章を作るという宿題があったので、それを発表した。

今回は、話すことに重点を置いておられたので、きっちりした文章に訂正されませんでした。以下の文章は、話されたものを書き取ったので、文法的に完全ではない部分も結構あると思いますが、皆の勉強の跡を書いています。

 

 

Aさん

Cóng Tǔpǔ dào Dōngjīng zuò huǒchē yào yígè xiǎoshí zuǒyòu.

从土浦到东京坐火车要一个小时左右。

土浦から東京まで、汽車で一時間くらいかかります。

 

Lǚxíng de shíhòu, yǒushí zuò fēijī.

旅行的时候,有时坐飞机。

旅行するときは、時々飛行機を使います。

 

Dìtiě zài nǎlǐ zuò?

铁在哪里坐?

地下鉄はどこで乗りますか。

 

 

Bさん

Qiántiān wǒmen qù Dōngjīng sǎomù.

前天我们去东京扫墓

Wǒmen zuò Tx xiàn diànchē.

们坐Tx线电车。

Zài Yùtútīng huàn chē zuò dìtiě qù Chūnrì.

御徒町换车坐地铁去春日。

Ránhòu zuò dìtiě qù Yǒulètīng.

然后坐地铁去有乐町。

 

<訳> 一昨日、東京へ墓参りに行きました。つくばエキスプレスに乗って、御徒町で地下鉄に乗り換えて、春日に行きました。それから、地下鉄で有楽町に行きました。

 

「地下鉄に乗り換える」はどのようにいったらよいのだろう。Bさんは、「换车坐地铁」としたが、「换地铁」だけで通じるだろうか。辞書にも適切な文章がなかなか載っていない。

 

 

Cさん

Xià zhōu wǒ xiǎng qù sǎomù zài Qíyùxiàn.

下周我想去扫墓在埼玉县。

Qí zìxíngchē dào bāshì zhàn, ránhòu zuò gōnggòng qìchē dào Huāngchuānchōng.

骑自行车到巴士站,然后坐公共汽车到荒川冲。

Ránhòu zuò Chángpánxiàn dào Shàngyě, huàn chē Shānshǒuxiàn dào Chídài.

然后坐常磐线到上野,换车山手线到池袋。

Huàn chē Xīwǔxiàn dào Suǒzé. Yào sān gè xiǎoshí.

换车西武线到所泽。要三个小时。

 

<訳> 来週埼玉県にあるお墓を参りに行きたい。自転車でバス停まで行き、それからバスに乗って荒川沖まで行きます。そして、常磐線に乗って上野へ行き、山手線で池袋へ。西武線に乗り換えて所沢へ行きます。3時間かかります。

 

「埼玉県にある墓」というのはどのような表現がよいのだろうか。上記で良いのだろうか。それとも「在埼玉县的墓」が良いのだろうか。「墓在埼玉县。」なら「墓は埼玉県にある。」という文章のように思うが。

 

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東京にある地方のアンテナショップの話題がでた。辞書では、「天线商店 tiānxiàn shāngdiàn」とでてくるが、おそらく何のことかわからないだろう。アンテナショップを知っていないと、想像すらつかない。先生は「各地特产店 gèdì tèchǎndiàn」とされた。有楽町の交通会館には、アンテナショップが集まっているが、「各地特产店集中街 gèdì tèchǎndiàn jízhōng jiē」と表現された。中国にも同様のお店ができてくると、それに伴って中国語が作られるのだろうが、今のところは、ぴったりの中国語がないということかも。

 

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質問があった。中国語でどのように表現するかという質問である。

「彼は中国語も話せます。」を中国語にするとどうなるかという質問です。この質問の背景には、次の二つの文章があります。

他会说英语。Tā huì shuō Yīngyǔ. 彼は英語を話せます。

她也会说英语。Tā yě huì shuō Yīngyǔ. 彼女も英語を話せます。

 

下の文章では、上の文章を受けて、「也」を動詞の前において、「彼女も」と表現している。では、同じく彼が、英語だけでなく中国語も話せるという場合、どこに「也」を置くのだろうか。中国語では動詞の前にしか置くことができなさそうである。そうすると、「他也会说汉语。」となり、この文章だけだと、「彼は中国語も話せる。」という意味なのか、「彼も中国語を話せる。」という意味なのかわからない。日本語は「も」を置く位置によって、明確に両者を区別できる。中国語では実際には前後の会話の流れから、類推できるのだろう。

先生によれば、「中国語も」と明確に示したいなら、次の様な文章も考えられるとのことでした:「汉语他也会说。」

 

もう一つの質問は、第1課で「数詞+多」を習いました。次のような二つの正しい文章があります。

Zhōngguó yǒu wǔshí duō gè shǎoshù mínzú.

中国有五十多个少数民族

 (中国には50数グループの少数民族がいます。)

Cóng Dōngjīng dào Běijīng zuò fēijī yào sān gè duō xiǎoshí.

东京到北京坐飞机要三个多小时。

 (東京から北京まで飛行機で三時間あまりかかります。)

 

上の文章は、「五十多个」となっており、「数詞+多+量詞」となっています。教科書の7ページにある例文「我们班有30多个学生。」や「我爸爸40岁。」と同じ構造です。

ところが、下の文章は、「三个多」となっていて、「数詞+量詞+多」となっています。量詞の後に「多」が来るのは、なぜかということですが、おそらく、この「多」が示す「あまり」あるいは「すこしはみ出ている」ものが、単位が違っているからなのでしょう。上の「50多」は、「50+数個」を意味していて、50個と数個は同じ単位(この文章ではグループ)です。ところが、この「三个多」の場合は、「三時間と少々(数分あるいは1020分くらい)」を示しており、一個(一時間)よりも小さな「あまり、おまけ」がくっついていることを意味していると考えると理解できるように思われます。ですから「三个(3時間)」の後に「多」がきています。

 

 

次回10月は、第2課を学習するので、予習をしてきてね、とのことです。