7・8月の漢詩

 

2019724日、87

 

王勃 Wáng Bó の「送杜少府之任蜀州」という送别词(Sòngbié cí)を、二週に分けて、前半と後半を読みました。

五言律詩で、友人が南の方(四川)に赴任するにあたり詠んだ詩です。杜少府が友人の名前で、杜は名字、少府は官職名だと思われます。

 

王勃は、初唐の詩人(650676年)。幼くして神童の誉れ高く、朝廷に勤めた。楊炯・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる。祖父(王通 Wáng Tōng)は、著名な儒学者であったとのこと。かれが官奴(かんぬ、奴隷のこと)を殺したことで、父親も左遷された。その父親を訪ねる途中、船から落ちて溺死している。

 

 

Sòng dù shǎo fǔ zhī rèn shǔ zhōu

送杜少府之任蜀州

       (唐)王勃   (Táng) Wáng Bó

阙辅三秦,  chéngquē fǔ sān qín,

风烟望五津。  fēng yān wàng wǔ jīn.

与君离别意,  yǔ jūn líbié yì,

同是宦游人。  tóng shì huànyóu rén.

海内存知己,  hǎinèi cún zhījǐ, 

天涯若比邻。  tiānyá ruò bǐ lín. 

为在歧路,  wúwéi zài qílù, 

儿女共沾巾。  érnǚ gòng zhān jīn.

 

<訳>

杜少府を蜀に赴任するを送る

ここ長安の都は、山秦の地によって守られ、風と靄(もや)の先に君の向かう五津(四川省あたり)を望む(眺める)。

君との別れに傷む心、二人ともしがない地方巡りの身だ。

四海のなか(この世の中)、理解し合える人さえいれば、天の果てでも、近隣のようなもの。

分かれ道に望んで、女こどものように、手巾(ハンカチ)を泪で濡らしてくれるな。

 

 

城闕:「闕」は門。ここでは長安の宮殿を意味している。

辅: 守られている。辞書では、「助ける、補佐する、援助する」という意味。

三秦: 現在の陝西省。秦(前221~前206)が滅んだ後、項羽は関中(現在の陝西省)の地を雍(よう=西部境)、塞(さい=東部)、翟(てき=北部)の三つに分けて、降伏した秦の将軍たちに統治させた。その地を合わせて三秦と呼んだ。「章邯为雍王、董翳为翟王、司马欣为塞王」「现将中国陕西的陕南,陕北,关中并称三秦」(Baidu)とある。

五津:「津」は渡し場。蜀の地方を流れる長江(岷江 Mín Jiāng 長江の左岸の支流、四川省中部の代表的な川)には五つの大きな渡し場があったので五津と呼ばれた。ここでは杜少府の赴任する地。

遊人: 故郷を離れて官吏となっている人

海内: 天下(四海之内,即全国各地)

知己: 自分を理解してくれる友人

天涯: 边、空の果て(きわめて遠いところの形容)

比鄰: 隣近所

歧路:「歧」は「岐」と同じ、 分かれ道

沾巾: ハンカチをぬらす、「沾」は、濡れる、滲みるの意味

http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_B31_3.htmlBaiduを参照

 

 

詩の最初の部分は地名、それも歴史的な、あるいは地名の別の言い方などが出てきて、わかりにくい。作者の王勃も、送られる杜少府も、地方官として朝廷に仕えたのであろう。

 

「四海」とは、世界、全国各地のこと。「四海为家 sìhǎi wéi jiā(世界を我が家となす)」。

 

「歧路,岐路」は、中国語ではあまり使わないそうだ。ちょっとマイナスイメージがあるそうだ。日本語では、単に道が分かれているというイメージだけれど。道が分かれているときには、例えば、「分別大路 fēnbié dàlù」「分別路上 fēnbié lùshàng」などと言うそうだ。

 

「儿女 érnǚ」は、現代語では、息子と娘をさし、広く「子ども」のことをいう。ここでは、子どもと女のこと、すなわち弱いものの代表として「おんなこども」と言っているようだ。現代語で、弱いものを意味するのに、「老幼 lǎo yòu(年寄りと幼子)を使ったりするそうだ。「老稚 lǎo zhì」でもよいかな。また、病気や障害をもった人たちを、「病残 bìng cán」と言うそうだ。「老弱病残 lǎo ruò bìng cán」という言い方も。「残 cán」は、残るという意味ではなく、「欠けている」という意味。「残 cánfèi」は、「身体に障害がおこる、不自由になる」とい意味。

 

この詩で、有名な部分は「海内存知己 hǎinèi cún zhījǐ, 天涯若比 tiānyá ruò bǐ lín」。多くの中国人が、この言葉を知っているそうだ。先生がこの詩を紹介くださったのも、このことがあったからのようです。日本で有名な漢詩と中国人の間でよく知られた漢詩では、違っている例もよくあるようです。

 

次回の漢詩は、9月の下旬になります。