土浦中国語 漢詩 二月

2月20日

今日の漢詩は、馬到遠(1250年-1321年)の「天净沙 秋思」でした。この詩は中国では有名なようで、多くの人が知っているようです。「原曲」といわれるものに属するようで、「詩」と言ってよいのかどうかわかりませんが、中身は詩のような文です。馬到遠は元の時代の人ですが、漢族の人で大都(今の北京)の出身です(元はモンゴル族の国です)。それ故、官僚としてはあまり恵まれず、放浪の生活も送ったようです。著名な大戲劇家・散曲家で、「元曲四大家」の一人とされています。


Tiānjìngshā Qiūsī
天净沙 秋思
   (元 Yuán) 马 到远 Mǎ Dàoyuǎn
Kūténg lǎoshù hūnyā
枯藤老树昏鸦
Xiǎoqiáo liúshuǐ rénjiā
小桥流水人家
Gǔdào xīfēng shòumǎ
古道西风瘦马
Xīyáng xīxià
夕阳西下
Duàncháng rén zài tiānyá
断肠人在天涯

 

繁体字
天浄沙  秋思 
       (元) 馬 到遠
  枯藤老樹昏鴉
  小橋流水人家
  古道西風瘦馬
  夕陽西下
  断腸人在天涯

 

<訳>
枯れたフジ、古木、そして夕暮れ時のカラス(の姿)
小さな橋とせせらぎのほとりにある人家
秋風の中に痩せた馬が古びた道を歩いている。
夕日が西に沈もうとする。
辛い思いをしている人が、故郷を遠く離れ、地の果てを旅している。

 

秋のもの哀しさを詠い、自らの思いも込めているようです。前半は、二文字の名詞が並んでおり、情景が分かり易いです。「断腸」という強い表現があります。教室でも、強すぎる思いが作者にはあるのではという話題も出ました。「天涯 tiānyá」は、「地の果て」というような意味と思われます。


「漢文、唐詩宋詞、元曲 Hàn wén Táng shī Sòng cí Yuán qǔ」という言い方があります。後の三つだけを並べるときもある。これは、「中国の漢代の文(散文),唐代の詩,宋代の詞(詩余とも呼ばれる歌謡調の詩),元代の曲(演劇)を並列した成句」と説明されている。漢代の文学は文によって代表され,唐・宋・元のそれはおのおの詩・詞・曲によって代表されるという考えを示しています(コトバンクより)。


元曲(げんきょく)とは、宋の時代に始まった歌劇で、元代に隆盛した雑劇と散曲を総称したもの。ともに当時、北方で流行した曲調である北曲を用いた。(Wikipedia)。


また、コトバンクの元曲の説明では、「中国の戯曲の名称。元代の戯曲の意。宋代に始った中国戯劇 (雑劇) が北方の「北曲」と南方の「南曲」に大別され,そのうち元曲は北曲を受継いだもので,元雑劇ともいう。南曲が民間に発達した自由な形のものであるのに対して,宮調 (一定の音階に基づく旋律型) の規則,幕数の構成をきびしく定めた北曲の系統を継いで,一層規格をきびしくして発達させた。」


これらの説明では、今回の詩をどのように呼んだらよいかわからないなあ。詩なのか、詞なのか、曲なのか?「元曲とは、歌舞・音曲・演技が一体となった舞台芸術である雑劇(戯曲)の台本のこと。」と書かれていたりもするので、元曲の台本のなかの詩のような部分と考え方で良いのだろうか?


標題の『天浄沙』は曲牌名(=詞の長短の句や押韻等の形式)で、『秋思』が詩(詞?曲?)の題。

Baiduでの「天净沙」の説明をみると、「曲牌名,又名“塞上秋”,属北曲越调,用于剧曲、套数或小令。全曲共五句二十八字(衬字除外),第一、二、三、五句每句六字,第四句为四字句,其中第一、二、五句平仄完全相同。此调主要有两种格式,均要求句句押韵。正格为五句四平韵一叶韵,第一、二、三、五句为平韵,第四句叶仄韵;变格为五句三平韵两叶韵,第一、二、五句为平韵,第三、四句叶仄韵。代表作有马致远《天净沙·秋思》等」と書かれている。

要約すると、「曲牌名のことで、塞上秋ともいう。北曲の越调に属するもので、剧曲(戯曲 ぎきょく:中国の古典的な演劇の一種)で用いられ、散曲における組歌形式のもの或いは短編の小曲(套数或小令 tàoshù huò xiǎo lìng)」ということだ。1, 2, 3, 5句は6文字で、第4句は4文字とある。今回の詩をみると、各句の文字数は、ここに書かれているとおりだ。平仄(ひょうそく)に関するルールがあり、代表作として、《天净沙·秋思》が上げられている。


中国の各地に、劇が発達し、それぞれの地方の名前を付けた劇もあそうだ。先生が幾つか例をあげられた。中国古典劇の歴史は古いが、元代になると,今回の元曲のような本格的戯曲が登場した。明の中頃には「崑曲」(崑山地方 (江蘇省) で発達)がおこり、18世紀末には、「京劇」が盛んになっていった。京劇は、「清代に安徽省で発祥し北京を中心に発展したので京の名が付き、主に北京と上海の二流派がある。」とwikiには解説されている。


今回の詩は、今までの唐や宋の時代のものとはちがって、元の戯曲に関係したものであり、あまり馴染みのない中国の文化の一端に触れた感じがする。