十二月の漢詩

1226

 

今日の漢詩は、李白の「望天門山」でした。

李白701-762)の出自および出身地には諸説あり、詳細は不明とある(Wikipedia)。現在の中国における通説では、李白は西域に移住した漢民族の家に生まれ、幼少の頃、裕福な商人であった父について、西域から蜀(現在の四川省)に移住したと推測されている。5歳頃から20年ほどの青少年期、蜀の青蓮郷を中心に活動したのち、長江中下流域を中心に、中国各地を放浪している。数回結婚しているようだ。

 

 

望天门山 Wàng tiānmén shān

         李白 Lǐ Bái

天门中断楚江开    tiānmén zhōngduàn chǔ jiāng kāi

碧水东流至北回    bìshuǐ dōng liú zhì běi huí

両岸青山相对出    liǎng àn qīngshān xiāngduì chū

孤帆一片日边来    gū fān yí piàn rì biān lái

 

 

門中断楚江開

碧水東流至北廻

両岸青山相対出

孤帆一片日辺来

 

 

<訳1>

天門山が真ん中から断ち切られて、その間を楚江が流れている。

深みどりの川は東の方に流れて来て、ここで北に向きを変えて流れる。

両岸には青々とした山が向き合って突き出しており、

その切れ目の奥の方から一艘の舟が下って来るのは、まるで太陽の沈むあたりから流れて来るかのようである。

 http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_A04_1.html を参照に少し改変。

 

<訳2>。

「天の門」という名の山が、ちょうどその名のように、

まん中がパッとわれて楚江がひらける。

碧碧とした水が東へと流れてきて、この地点において廻転する。

両岸の青い山がむかいあって乗り出してくる勢い。

その間へ一片の小舟が遠い所からやって来た。

            (武部利男「中国詩人選集・李白」)

 http://jiuxia.web.fc2.com/Kanshipage/KanshiNo7/kanshi86.html

 

 

楚江 chǔ jiāng揚子江扬子江 yángzǐjiāng)のこと。このあたりは春秋時代から楚国と呼ばれていたのでこの名がある。

 

天門山という名前は、中国各地に見られる。ここでは、今の安徽省当塗県(あんきしょうとうとけん)の蕪湖(ぶこ)のあたりにある山で、東梁山(とうりょうざん)と西梁山の二つの山は揚子江(長江)を挟んで向かい合い、その形があたかも天の門のようになっているところから名づけられた(http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_A04_1.html)。

 

 

f:id:denggao:20181226205733j:plain

天門山の場所

           https://kanshi.roudokus.com/tenmonzan.html

 

また、山口直樹「中国語ジャーナル」による解説(http://jiuxia.web.fc2.com/Kanshipage/KanshiNo7/kanshi86.html)が分かり易い。

「天門山は長江の東西両岸に対峙する山名で、東岸の博望山は安徽省の当塗県、西岸の梁山は和県に属し、二つの山を合わせて天門山と呼んでいる。南北朝時代、この下流に位置する建業(南京)が六朝の帝都だったことから、その外門になぞらて天門山と命名された。

 この詩は、平易な語を使いながらも壮大な風景を描き出している名作。天門を押し開いたかのような長江の滔々たる流れ、東へと流れていた碧の水は此処で北に向きを変える。長江両岸の青木山は対峙してそびえ、川面に照り輝く日光の中から向かってくる一艘の帆掛け舟、というのがこの詩の大意。いかにも李白らしい大きなスケールを感じさせる作品で、現代中国語での朗詠もリズムがよい。」

 

ここで、起句、承句、転句までは状況が比較的わかり易いように思う。作者は、舟に乗って揚子江を下っていると考えられる。おそらく、両側の山がせまって門のようになった部分を抜けると、揚子江が拡がる感じなのであろう。でも、最後の結句では、若干視点が異なり、客観的に陸地から舟を見ているような句になっています。にもかかわらず、やはり作者は舟の中にいると考えて良いようです。ここで、「日 rìbiān」という言葉ですが、これは、「天 tiānbiān」「天涯 tiānyá」と同じような意味で、「遠いところ」を意味しているのだろうとのことです。上記の武部利男の詩(訳2)でも、「遠い所からやって来た」と訳されています。

 

「日边」に関連して、以下の記述がありました(http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/kanshi_A04_1.html)。

-----日辺と長安ではどちらが近いか-----

 晋(しん)の明帝(みんてい)がまだ幼かったころ長安から来た使者の前で「長安と日辺ではどちらが遠いかね」と父の元帝(げんてい)が質問したところ幼帝が「長安が近い。未だかつて日辺(太陽)から来た人を見たことがないから」と答えた。翌日同じ質問をしたところ「日辺が近い。頭をあげると太陽は見えますが長安は見えないから」と答えた。この話は幼帝の聡明さを示すものとなっている。それなりの理を述べて面白い話である。

 

 

今日は、2018年最後の教室だったので、終わってから昼食忘年会をしました。「覚味」まで分乗してでかけました。

 

また、このブログも一年を経過しました。さらに進化を遂げられますように。

来年も宜しくお願いします。「祝新年快乐! Zhù xīnnián kuàilè!