十月第一週 秋だね〜

10月3日

10月に入り、少し涼しくなってきました。第一週は中国語です。先週から、新しい方が参加しているので、前半は拼音 pīnyīn について復習しました。
後半は、近況を中国語で報告しました。最近は、個人個人の近況状況の発表が長くなって(考えてくる文章が長くなって)きました。勉強熱心なのは大変結構なことだけれど、全員が発表できる時間がなくなってきたので、もう少し端的に短い文章で表現するようにしましょうとの先生の提案がありました。

 

拼音 pīnyīn について
中国語の発音を表記するためにアルファベットを使う試みはかなり以前から行われてきたけれど、1958年に中華人民共和国によって制定された「漢語拼音方案」という表記法が一般に使われています。「当初は、拼音は将来的に漢字に代わる文字として中国で位置づけられていたが、現在では中国語の発音記号として使用されている。」そうです(ウィキペディアによる)。先生によると、ピンインの父と呼ばれる周有光 Zhōu Yǒuguāng (長生きをされましたが、亡くなられました)が大きな働きをされたようです。

 

母音の発音と四声について復習しました。

 

先生の話から
現在の東南アジアの漢字文化圏においては、独自の文字(書き言葉)を持っていなかったため、中国からの漢字の輸入は、記録をとることができるようになったという意味でとても重要です。それにより、独自の文字の発展も促されたことになります。日本には、公元(gōngyuán 紀元)五世紀頃、漢字が伝わったとされています。(もちろんそれ以前にも断片的には伝わっていただろうとは推察できると思います)。この五世紀頃とは、東晋南北朝時代で、日本の古墳文化の前半ころだろうと思われます。それより以前の弥生時代後期には、漢 Hàn の光武帝 Guāng wǔdì の金印 Jīn yìn が見つかっているので、日本の朝廷あるいは豪族との交流はあったと考えられます。漢字の導入が、いまの日本の文化の根底に深く関わっていることになりますね。

 

もう一つ、中国の各王朝のなかで、唐のように国際的な交流をもって繁栄した国もありますが、宋は漢民族同士の内乱もなく、文化的にもすぐれた時代もありましたと紹介されました。「清明上河图 qīngmíng shànghé tú」という絵巻が北京の故宮博物院に所蔵されているそうで、この絵巻は、北宋の都であった开封 Kāifēng の都城内外の賑わいの様子を描いています。

 

ちょっと休憩、そして、後半に。


参加者の近況の発表

Aさん
最近中国語で読んだ寓話について、紹介されました。寓話は中国語では、「寓言 yùyán」といいます。寓話の題は「矛盾 Máodùn」です。日本でも、中学校の国語漢文で学びます。Aさんの書かれた文章は以下の通りです。

 

我最近读了寓言。---
Wǒ zuìjìn dúle yùyán
楚人有卖盾与矛者。
Chǔ rén yǒu mài dùn yǔ máo zhě.
誉之日,「吾盾之坚、莫能陷也。」
Yù zhī yuē,「wú dùn zhī jiān, mò néng xiàn yě.」
又誉其矛日,「吾矛之利,於物無不陷也。」
Yòu yù qí máo yuē,「wú máo zhī lì, yú wù wúbù xiàn yě」
或日,「以子之矛,陷子之盾,何如。」
Huò yuē,「yǐ zǐ zhī máo, xiàn zǐ zhī dùn, hérú.」
其人弗能应也。
Qí rén fú néng yīng yě

 

<日本語>
最近寓話を読みました。
楚人に盾と矛とを売るもの有り。之を誉めて曰く、「我が盾の堅きこと、能く陥(とお)す莫きなり」と。また其の矛を誉めて曰く、「我が矛の利(と)きこと、物に於いて陥差ざる無きなり」と。或ひと曰く、「子の矛を以て、子の盾を陥さば、如何」と。其の人、応ふること能はざるなり。

 

寓話の中は、現代中国語ではなく、古い言葉で書かれています。
「日」は「yuē」と発音され、「言う」という意味です。論語の「子日」は、「し、のたまわく」と習いました。あるいは現在の学校では「し、いわく」と習っているようです。現在の中国語の「说 shuō」ということでしょうね。
最後の文は、書き下し文では、「其(その)人(ひと)、応(こた)ふる{こと}能(あた)は弗(ざ)る也(なり)。」となります。

 

日本の教科書では、最初の文の「楚人有卖盾与矛者。」の「卖 mài」が「鬻 yù」(「ひさぐ」とよむ、「売る」の意味)になっています。おそらく、中国の低学年用の読本などでは、「鬻」という難しい漢字を避けて、おなじ意味の「卖」にしてあるのではないかと推察します。日本では、昔から伝わったものに忠実に従っていると思われます。

 

古い文章のなかの漢字を後世の人が変更するというようなことは、時々あるようで、優しい漢字に変更するだけでなく、表現上の考えから変えてしまうこともあるようです。先週の漢詩の時間に先生が紹介された有名な詩である、李白の「静夜思 Jìng yè sī」にもあります。これは、後世になって、詩の編集者らがより良いと考えたのか、二カ所ほど変更されています。中国ではこの変更された詩を学んでいるのですが、日本では古い時代に伝わった原文のまま学んでいて、日中で若干違っています。
https://blog.goo.ne.jp/miyu_hato/e/a292f72e7c52443f80c8ec71c81aa476
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/05/post-7f71.html


Bさん
台风二十四号来了。
Táifēng èrshísì hào lái le.
激越的风吹来。
Jīyuè de fēng chuī lái.
我的房子振动,我醒。
Wǒ de fángzi zhèndòng, wǒ xǐng.
我担心,早上走进院子。
Wǒ dānxīn, zǎoshang zǒu jìn yuànzi.
一棵樱桃树从根倒了。
Yī kē yīngtáo shù cóng gēn dàole.
我修种了,但还是怀疑明年是否结果实。
Wǒ xiū zhǒngle, dàn háishì huáiyí míngnián shìfǒu jiē guǒshí.

 

<訳>
台風24号がやって来ました。激しい風が吹きました。私の家が震えて、眼が醒めました。私は心配で、朝早く庭に出てみました。一本のさくらんぼの木が根こそぎ倒れていました。植え直しましたが、来年実をつけるかどうか心配です。

 

今年は、強い台風がやって来ています。Bさんの家では、昨年の秋にも、台風で庭のミカンの木が倒れました。毎年、大変ですね。

 

激越 jīyuè:(感情が)高ぶって激しい
振动 zhèndòng: 震動 と同じ発音
醒 xǐng: 眼が醒める、(まだ睡らずに)起きている
担心 dānxīn: 心配する、懸念する
棵 kē: 木を数える量詞
怀疑 huáiyí: 疑う
是否 shìfǒu: 〜であるかどうか
结 jiē: (実が)成る、(実を)つける、(jiéと四声で読む場合は、「結ぶ」の意味)

 

ブログを書いていて、このBさんの作文には、勉強になる表現があると思いました。「我担心、早上走进院子(心配で、朝早く庭にでた)」という文で、当初は、「退出院子」と書かれていたのが、「走进院子」と修正されました。日本語では「庭に出る」という表現は、「部屋からでて庭に移動する」ということを表していて、ごく普通の表現です。中国語では「走进院子」ですから「庭の中に歩いて入る」という表現になっています。すなわち、「出房间 chū fángjiān、进院子 jìn yuànzi」ということになるのでしょう。

部屋から庭に出る(部屋--->庭)
  出房间  部屋から出る
  进院子  庭に出る(庭に入る)
右側の日本語ではともに「出る」を使えば良いので、内から外への移動を「出る」と表現しており、その文章にでてくる場所(部屋か庭か)には影響を受けていません。「庭に入る」と言う表現は、特別な場合しか使わないと思います。しかし、中国語では、目的語の位置に来るのが「房间」なのか「院子」なのかによって、この移動に係わる動詞が違います。「房间」ならば「出(出る)」をつかい、「院子」ならば「进(入る)」を使っています。日本語では「部屋」であろうと「庭」であろうと内から外への移動を客観的にみて「出る」という言葉に統一して使う傾向があるのに対し、中国語では「庭」ならば入ると表現します。

この逆に、庭から部屋の中に入る場合(庭--->部屋)は、
  进房间  部屋に入る
  出院子  庭から入る 
      (部屋に入る場合に「出院子」という表現が使われるかどうかわかりませんが...)
日本語ではともに「入る」という言葉で表現しますが、中国語ではこの場合も、「进」と「出」を使い分けているのではないかなあ。


Cさん
这个星期日,台风接近关东的时候,我们家的厕所里,水冲洗装置不启动了。
Zhège xīngqírì, táifēng jiējìn Guāndōng de shíhòu, wǒmen jiā de cèsuǒ lǐ, shuǐ chōngxǐ zhuāngzhì bù qǐdòng le.
装置的拉手把一条锁链子连接。
Zhuāngzhì de lāshǒu bà yītiáo suǒliànzi liánjiē.
那个锁链掉了。
Nàgè suǒliàn diàole.
我们抢修那个拉手,用铁丝捆上锁链和拉手。
Wǒmen qiǎngxiū nàgè lāshǒu, yòng tiěsī kǔnshàng suǒliàn hé lāshǒu.
坏的装置修好了,我高兴得不得了。
Huài de zhuāngzhì xiūhǎole, wǒ gāoxìng de bùdeliǎo.

 

<訳>
今週の日曜日、台風が関東に接近していたころ、我が家のトイレで、水洗装置が働かなくなりました。装置の取っ手に一本の鎖がつながっています。その鎖が外れて落ちました。その取っ手を応急修理して、針金で鎖と取っ手をつなぎ合わせました。壊れた水洗装置が直って、とてもうれしかった。

 

启动 qǐdòng: 始動する
连接 liánjiē: 繋がる
锁链子 suǒliànzi、锁链、链子: 鎖、チェーン
抢 qiǎng: 奪い取る、(抢 + 動詞または名詞で、「急いで〜する」の意味)
抢修 qiǎngxiū: 応急修理をする
铁丝 tiěsī: 針金
修好了 xiūhǎole: 結果補語の形で「ちゃんと修理できた」の意味。
得不得了 de bùdeliǎo: 前の「得」は、程度補語を導く「得」で、形容詞の「高兴」の後ろにつけて、それ以降の言葉でその程度を表している。「不得了」は、慣用句で「とても、すごく」の意味。

 

時間がなくなってきて、先生の添削が十分でないかもしれませんが、最初の文章の最後「不启动了」は、当初「没启动」となっていました。最後に「了」をつけるのが大切な気がします。