八月の漢詩

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今月の漢詩は、賀知章の「回鄕偶書」です。官職を辞して、故郷に帰ったときに呼んだ詩です。小学校の低学年で学ぶ漢詩らしく、ネット上には、この漢詩を学ぶための子供向けのアニメが幾つか見つかります。

 

賀 知章(が ちしょう、659 - 744年)は、中国唐代の詩人、書家。会稽(浙江省)の人で、字を季真、または維摩という。https://ja.wikipedia.org/wiki/賀知章)。

 

文章は38編知られているらしく、そのうち詩は20編足らずが残っているだけらしい。則天武后のころ進士(jìnshì)になり、国の図書館長などを勤める。書道でも有名で草書を得意とした。高官を勤めながら破天荒な生き方をしたようです。玄宗皇帝のもとを辞して故郷に帰る(744年)が、それは安禄山の乱安史の乱)の起こる10年以上前のことで、唐のよき時代に生きたと言えるのではないかと思えます。この賀知章の知遇などをえて、李白が翰林供奉(天子側近の顧問役)として玄宗に仕えた。李白3年ほどで長安を追放されるようなことになるのですが、この頃に、賀知章も退職しています。翌年(745年)になくなったとされています。

 

簡体字

乡偶书  Huí xiāng ǒu shū

     贺知章  Hè Zhīzhāng

少小离家老大回、 Shǎo xiǎo lí jiā lǎodà huí,

乡音无改鬓毛衰。 Xiāngyīn wú gǎi bìn máo cuī.

儿童相见不相识、 Értóng xiāng jiàn bù xiāngshí,

问客从何处来。 Xiào wèn kè cóng hé chù lái.

 

繁体字

回鄕偶書  賀知章

少小離家老大回、

鄕音無改鬢毛衰。

兒童相見不相識、

笑問客從何處來。

 

<書き下し分>

鄕(きょう)に回(かえ)りて偶(たまた)ま書(しょ)す 賀知章

少小(しょうしょう)家を離れて老大(ろうだい)にして回(かえ)る

鄕音(きょうおん) 改(あらた)まるなく 鬢毛(びんもう) 衰(おとろ)う

児童(じどう) 相見(あいみ)るも 相識(あいし)らず

笑って問う 客(かく) 何処(いずこ)より来(きた)ると

 

<日本語訳>

若い頃家を離れて大いに年を取ってから故郷に帰ってきた。

ふるさとの訛りは変わっていないが、耳のあたりの毛は衰えている。

私の子供たちは私を見ても誰だか互いにわからない。

笑って質問する。お客様はどこからいらしたのと。

 

回鄕:故郷に帰る。 偶書:思いつくままに書く。 少小:若い頃。 老大:年を取ったこと。 郷音:ふるさとの訛り。 鬢毛:耳ぎわの髪の毛。 児童:作者の子供(孫?)たち。 客:お客様

 

上記の書き下し文や訳などは、ネット(http://kanshi.roudokus.com/Gachisyo2.html)をほぼそのまま写しました。

 

「偶 ǒu」は、「偶然、たまたま」という意味ですが、ここでは「随便 suíbiàn(気まぐれに、気軽に)という意味に解しても良いとのことです。「つれづれなるままに~」という感じなのでしょうか。

 

「无改 wú gǎi」は「変更なし」と言うことです。

 

「鬢毛」は、日本語で言う「鬢 びん」のことで、賀知章の人物絵をみると、上唇のひげの他に、あごひげと鬢を長く伸ばしているように描かれています。

 

「衰 cuī」は、「衰える」と言う意味で、普通 ”shuāi”と発音します。昔は ”cuī”と発音したのでしょうかね?あるいは、方言なのでしょうかね?

 

「儿童」の子供たちというのは、身内の子供なのに、長らく故郷にいなかった作者のことがわからないということでしょう。

 

「客从何处来」(お客さんはどこから来たの?)は、現代語なら「客人从哪里来了?」という言い方なのではないでしょうか。この「何处」(いずこ)という言葉は日本語でも文章や歌などでも使われることがありますが、古い中国語から入ってきたのでしょう。杜牧の「清明」という詩(昨年の426日に学んだ)にも、「酒家何処有」(居酒屋はどこかな?)というのがありました。

 

 

この詩は「回乡偶书」の「其の一」で、「其の二」があります。

 

乡偶书 其二

离别家乡岁月多, Líbié jiāxiāng suìyuè duō,

近来人事半消磨。 Jìnlái rénshì bàn xiāomó.

惟有门前镜湖水, Wéiyǒu mén qián jìng húshuǐ,

风不改旧时波。 Chūnfēng bù gǎi jiùshí bō.

 

以下は、下に記載したネットサイトより写したものです。

 

回鄕偶書 其二

離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。

唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。

 

<訳>

帰郷したおり、たまたまできたもの。その2

故郷を離れてから歳月は多く(経った)、

近頃は、俗世界の人間関係に、半ばうんざりしてきて消耗している。

ただ、(郷里の家の)門前の鏡湖の水(面)だけは、

春風に、昔と変わることなく波を立てている。

 

賀知章は玄宗皇帝から鏡湖を賜りました。長く宮仕えをしたご褒美です。

 

故郷を離れて、長い年月がたつので世の中のことも変わってしまうし、故郷も変わっているのか。いや、町の門の前の鏡湖の水だけは、春風に吹かれて昔のままだ。

長く故郷を離れた賀知章を鏡湖だけは昔と変わらぬ姿で迎えてくれました。

 

郷愁が、安らぐ落ち着いた景色が賀知章をつつみます。都でやり残したものがない素敵な人生を送ったものだけが感じる故郷での時間だった。

賀知章は間もなく85歳で亡くなります。懸命に生き抜いた一生でした。

 

http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/207gachisho01.html

 

 

次回は9月末です。好きな漢詩を暗唱しましょうとのことです。