一月の漢詩

2018年1月31日  漢詩 

 

今日は、苏轼(蘇軾:蘇東坡とも呼ばれる)の漢詩を学びました。昨年の5月にも蘇東坡の詩「饮湖上初晴后雨」を読んだ。北宋の詩人、官僚で、字は子瞻(しせん)。父親(苏洵)と弟(苏辙)もよく知られた詩人。

 

詩の題は「题西林壁」で、七言絶句。西林とは江西省の廬山(庐山 Lú shān)にある西林寺のことです。最初の文字の「题」は、「書く、書き記す」という意味があるようで、西林寺のどこかの壁に書き記すということのようです。

 

先生のお話では、この詩は中国人にはよく知られた詩だそうです。

 

  tī xī lín bì
  题西林壁     苏轼 sū shì


  hēng kàn chēng lǐng cè chēng fēng
  横看成岭侧成峰,
  yuǎn jìn gāo dī ge bù tóng
  远近高低各不同。
  bù shí lú shān zhēn miàn mù
  不识庐山真面目,
  zhǐ yuán shēn zài cǐ shān zhōng
  只缘身在此山中。
     (http://www.ruiwen.com/wenxue/tixilinbi/53565.html

 

簡体字ではない漢字でかくと以下の様に。

   題西林壁
  橫看成嶺側成峰
  遠近高低各不同
  不識廬山真面目
  只縁身在此山中

 

書き下し文と訳です。

   西林の壁に題す
  橫より看れば嶺を成し 側よりすれば峰を成す
  遠近 高低 各 同じからず
  廬山の真面目を識らざるは
  只身の此の山中に在るに縁る

 

  横から見れば連なった山々のように、
   脇から見ればぽつんと突き出た一つの山のように見える。
  見る人の立ち位置、遠近や高低によって見え方が変わるのだ。
  廬山の本来の姿を知りえないのは、
  ひとえに私がこの山中にいるからに他ならない。

  http://kanshi.roudokus.com/seirinnokabe.html

  https://www.hao-net.com/shibuyablog/2015/04/11/中国诗词欣赏-题西林壁/

(なるべく引用先を示しておきたいですが、ネット上には、同じ記述がみられる場合があり、どちらがオリジナルか、あるいはほかにオリジナルがあるのかわからないので、気がついた範囲で複数引用しておく場合もあります。)

 

「真面目(しんめんもく、しんめんぼく)」とは、「本来の姿」のこと。

「缘 yuán」は、「〜のため」という意味。

 

借景说理  Jièjǐng shuōlǐ

 この詩は、景色について述べることを通じて、哲学的なこと(物事の道理)を言っている。すなわち、ものを観察するときは、一部分だけを観るのではなく、客観的に全面的に(全体を)観るのでなければ、間違った結論を導くことがある、というような内容を伝えている。

 なお、このことに関連して、日本語では、「全体」と「(一)部分」という言い方をするが、中国語では、「全面 quánmiàn」と「片面 piànmiàn」を対比させるのだそうです。

 

廬山の西林寺には、この詩が書かれている壁がつくられているようです。

   f:id:denggao:20180201171943j:plain

     https://baike.baidu.com/item/庐山西林寺

 

 なお、調べてみたら、廬山には、西林寺のほかに、慧遠(えおん、334年 - 416年)という高僧が創建した東林寺というお寺もある。この東林寺は浄土教の聖地とされており、日本の浄土宗にもつながるらしい。また、東林寺は、東晋南朝宋の詩人・文学者の謝霊運(385年 - 433年)がここで涅槃教を翻訳したことでも知られているとか。北は長江に面する廬山は、世界遺産にも登録されている。おお〜良さそうなところだよね。